嫌いなものが認められない人へ

2018-12-23

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夕方

どうも。あっちん(@acchin1208)です。

今回もまた、あっちんの語りたくなったシリーズです。性懲りもなく続けます。これもう定番化させようかな笑 経験談とかオススメすることとか書いておきながらいきなり日記みたいな記事書くからね・・・方向性がかなり迷子です。

いや、個人ブログだからいいのかな?(言い訳)




嫌いなものが認められない人へ

最近の話なんですが、youtubeを見ていて昔はこのアーティストは最高だとか、このアーティストは全然ダメだなとか、完全何様だお前状態でその人を評価してた自分がいました。いわゆる評論家気取りってやつですね。

評価するだけならいいんですが、すぐにその人を嫌いになったり、嫌いな理由を周りに言いふらしていたりしました。言われる本人からしたら迷惑極まりない話です。そのアーティストが好きな人が一定数いるはずなのに。

思い出せば、あの頃は若かったのかなと思いますが(笑)自分の好きなものがまるで神様のような存在に見えて、それ以外が普通よりも劣ってるような感じに見えてしまう・・・思春期にみんなが体感するアレです。僕はその期間が長かったんです。つまりまだ思春期真っ只中なのかもしれませんね!笑

考えが変わるきっかけは、東京で出会ったプロミュージシャンの方の一言。

以前紹介した、初めてプロとしての仕事をくれた方とは別の方です。

その方の家によくお邪魔させていただいてたのですが、その方もYOUTUBEを見るのが趣味でして…主にジャズフュージョン系の趣味が似てて、今でもものすごく仲良くさせていただいてますし、一緒にお仕事もよくします。

そんな方が最近のアーティストの動画を見ていて、僕があまり好きになれない理由を言いました。すると、

「そうかもしれないけど、少なくともここに写っている人はこうして人前の舞台に上がった人だよ。もうそれだけでかっこいいじゃないか。褒める理由はそれだけで十分じゃないか?」




その頃の自分は、ただテレビやモニターに向かって野次を飛ばしてる観客にしかすぎなかった。

それを言われて僕は気づきました。批判やマイナスの評価って自分にとって有益なものは何にも生まないことに。そして、自分ってなんてダサいやつなんだって、いままで言ってきたことが恥ずかしくなりました。

当時僕は音楽で飯を食おうとしていました。だけど自分の気に食わないアーティストは批判する…明らかに自分よりもそこに写っている方々のほうが何倍も努力してるのに。人前に出る勇気や批判されることも覚悟の上でその動画をアップしているのに。

そんな恥ずかしい自分に気づけた時に、変なところにプライドを持っていたこともわかりました。自分の好きなもの以外認めないことで、自分の感性は正しいと思いたかったのかもしれません。

最後に。自分を認めるために。

好きなことは大いに好きになればいいと思うし、嫌いなものはあるのは仕方のないことだと思います。ただその嫌いの在り方がよからぬ方向に傾くと、良いエネルギーとはいえないものになってしまうかもしれません。

嫌いだけど認める、または理解する。このきっかけの一言を貰ってからは「こんな人もいるんだ」とか、「このアーティストはどこが魅力的なんだろう?」とか考えるようになりました。嫌いの判子を押してしまったら、そこで学ぶ機会を失ってしまうどころか、考えることすらなくなってしまいそうな気がして…成長が止まるような気がしたんです。

 

なんか結局真面目な記事になっちゃうね笑 もっとくだけて書けるといいんだけどなぁ…

これからもこんな風に、昔のことを語りたくなったシリーズやると思うんで、また見てくださいな!

ではでは!